インクルージョンの定義
インクルージョンは1980年代にヨーロッパで生まれた概念で社会的包摂とも言われ、「障害の有無を問わずすべての人の多様性を個性として受け入れられる社会」を指します。
ちょっと硬苦しい表現でわかりにくいかもしれませんが、
つまりは
▶社会にはいろいろな人がいることを理解する。
▶それぞれの個性を認め合う。
▶社会の一員として、対等に接する。
ということです。
インクルージョンとSDGs
ではSDGsと、インクルージョンがどのように交わるのかというところですが、
SDGsで挙げられている17の目標の中には、
3.すべての人に健康と福祉を
10.人や国の不平等をなくそう
16.平和と公正をすべての人に
というように、インクルージョンの概念とリンクするものがあります。
そもそもSDGsでは「誰ひとり取り残さない」社会の実現を目標に掲げています。
インクルージョンの「すべての人が受け入れられる社会」と目指す部分は同じだと考えられると思います。
「障害」について
インクルージョンの概念の中に「障害の有無を問わず」という部分がありますが、そもそも障害とはどういった事を指すのかを考えてみたいと思います。
例えば足が不自由ならリハビリをして動くように練習するというように、障害とは長らくその人「個人」の問題と捉えられてきました。
しかし障害は「個人」と「社会のあり方」の間に生まれてくるものです。
足が不自由で車いすを使用している方が、階段しかなく建物に入れなかったとしたらそれは障害です。(※階段しかない建物を否定しているのではなく、あくまで状態としての例えです。)
でも、スロープやエレベーターがある建物だったら、車いすを使用していること=障害ではなくなります。
逆に階段ではなく、目の前に2メートルの段差がある建物だったら、車いすを使用している方だけでなく、子どもやお年寄りをはじめ、身体能力の高い方以外の方は店に入れず、多くの方に障害となるでしょう。
いやいや、さすがに2メートルの段差は無いでしょ。
その通り。無いですね。2メートルの段差があったら困る人が沢山いるから無いんです。
多くの方(多数派)にとって障害になるものは、すでにそうならないように考えられてつくられているのです。
私達が当たり前に行っている階段を登って建物に入ることができるということはすでに「困らないように配慮された状態」であることを知っておくだけで、車椅子を使用している方へのスロープやエレベーターについての課題も、いつもと違った視点で考えられるかもしれません。
まとめ
インクルージョンやSDGsについて説明させていただきましたが、大切なことはそれらの言葉ではなく考え方を理解することです。
家族のような近い存在でも合わない方もいれば、国籍や年齢など全く違う方でも理解しあえる方もいます。
社会はいろいろない人がいるからこそ成り立ち、そして成長していくことが出来ます。
無理にみんなと仲良くする必要は無いと思いますが、自分とは違う部分に目を奪われすぎず、対等な立場として接することができる社会になったらいいなと思います。